心にストッパーはあんのかい?
大工の息子として生まれた僕は、間違ってもなりたくて大工になったわけではありません。親が大工じゃなかったら100%大工にはなっていなかったと思います。
そんな僕ですが、小学校四年生の図工の授業で不思議な経験をしたんです。
授業の内容はノコギリ、トンカチ、釘などの大工道具を使って板を加工し、木製小箱を作りましょう、というもの。この時、僕はまだこれらの道具を使ったことはありませんでした。てかさ、今の時代から考えるとかなりデンジャーな授業だよコレ。
まあ、小学校四年生にもなると大工の息子でなくとも、ノコギリやトンカチくらいどうやって使う道具かなんてみ~んなわかってるもんです。
ところがだよ! 各自に大工道具が行き渡りギコギコトントン実習が始まってみると・・・!
驚いたことにノコギリもトンカチも僕だけダントツに扱い方が上手かったのだ。自分で言うとちょっと情けないけど、明らかに他の子たちに差をつけてました。
「みんな、○○くんの道具の使い方をよく見るように」
なんて先生に手招きされて、みんなの前で板を切るところを見せたりなんかして、クラス中から上がる「さすが大工の息子!」「やっぱり○○くんは大工さんだ!」の声。声が黄色くないところが地味にチクん。
とはいえこれは、ほんと~に不思議な経験でした。僕だって大工道具なんて触ったことなかったんだから、みんなとスタートは変わらないはず、それなのに。
で、これがなぜかって話です。
それまでに父の大工仕事の様子を横で見たことがあるので、視覚的な学習効果もあったとは思うのですが、もっと大きな他の子との違いは、大工っていう仕事を特別な仕事だと思っていなかった、ってことだと思うんです。
言い換えると、大工仕事に対する心のストッパーが僕だけなかった、ってな感じ。
クラスで僕だけが大工仕事を生業とする父の姿を見て育ってるから、できて当たり前というか「ま~親父にできるんだから俺にだってできるでしょ」みたいに無意識下に染みついていたんだと思うんです。
この話、なぜ二世の子達がその道でハナから技術が得手であることが多いのか? という問いの解だと僕は思うね。いや、確信だね。
宮崎五郎の絵コンテとか、安藤サクラの演技とか、例をあげるとキリがないけど、みんなその道に対して心のストッパーがなかったんだよ、きっと。
まあ、政治家に関してはもっとストッパーかけろよって思いますけどね。
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